
この絵は、後漢の洛陽城の西北に金墉城(きんようじょう)を付け足しました。
この地図にいたるまでの調査は、コチラ↓
(っても私はただ質問してるだけで、子ども電話相談室状態ですが。)
「三国志サポート掲示板」洛陽の地図について
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1628;id=
洛陽のある河南の地は、古くから漢民族の根拠地とされ、中華世界の中心地、交通の要衝でした。
歴史も古く、5〜6000年前の新石器時代の遺跡が残されています。
洛陽のだいたいの年表
西暦 | 時代 | 洛陽のできごと | 歴史の主要事件 | 紀元前4000〜 3000年頃 | | 新石器時代の遺跡 | | 前1136年? | 西周 | | 周の武王、殷を滅ぼす。 | 前1115年? | 周の成王即位。周公旦ら、洛邑を建設。 | | 前770年 | 東周 | 周の平王、洛邑へ遷都。 | | 前221年 | 秦 | | 秦の始皇帝、天下統一。 | 前202年 | 前漢 | | 劉邦、項羽を垓下に破り、即位。 | 前141年 | | 武帝即位。(在位〜前87年) | 8年 | 新 | | 王莽、新を建国。 | 25年 | 後漢 | 光武帝、漢を再興し、都を洛陽におく。後漢の洛陽城は、北宮・南宮の2大宮殿から成る。 | | 67年? | 白馬寺(中国初の仏教寺院)の建立。 | | 190年 | 董卓、洛陽を焼き、長安への遷都を強行。 城内の宮殿や人家を焼き、陵墓を暴き、富豪を殺して財産を奪ったといい、壊滅的だったらしい。 | | 220年 | 三国 | 曹丕、魏を建国。都を洛陽におく。北宮の一部を修復して朝廷とした。 | | 235年 | 魏の明帝、荒廃したままだった南宮に太極殿・昭陽殿を建立、北宮の庭園を整備、金墉城(城塞)・陵雲台(高楼)を築く。■ | | 265年 | 西晋 | 司馬炎、晋を建国。都を洛陽におく。魏の都城をそのまま使用。 | | 280年 | | 西晋、三国を統一。 | 291年 | 八王の乱おこる。皇族・司馬一族が血みどろの内部抗争。都は内ゲバの舞台に。(〜306年) | | 311年 | 洛陽、匈奴の劉聡に攻められ、陥落。(永嘉の乱) | | 317年 | 南北朝 | | 元帝、建康で即位。東晋の成立。 | | 五胡十六国の争乱の中で洛陽は争奪の地となり、荒廃。 | | 494年 | 北魏の孝文帝、洛陽に遷都。このころ竜門の石窟を造営。 | | 547年? | 楊衒之『洛陽伽藍記』著す。 | | 589年 | 隋 | | 隋の文帝、天下統一。 | 605年 | 煬帝、新都洛陽城を造営。 | |
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こんなかんじで。
董卓の焼き討ちの後30年以上荒廃してた洛陽を、魏は国都に定めて復興します。西晋のころの人口は30万以上だったそうです。
ちなみに、日本で大内裏の正殿を「太極殿(だいごくでん)」と呼びますが、宮中の正殿に「太極殿」と名付けた最初は、魏の明帝の宮殿だそうです。
「太極」とは宇宙の根源というよーな意味ですが、また、天の北極も意味し、世界の中心ということです。
魏以降、「太極殿」は宮中の正殿の名称として中国でも長く使われました。(中国の宮殿を呼ぶ場合は「たいきょくでん」と読みます。)