2006.04.18 Tuesday
年代設定
明帝が洛陽の新宮殿造営をおこしたのが235年(青龍二年)。
年代設定は、だいたいそこらへんです。
235年は、五丈原の戦いの翌年で、邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢する3年前です。
ちなみに235年には、司馬懿は56歳で太尉(軍事のトップ)、陳羣は司空(水利土木のトップ)です・・・・パラレル〜
参考 生没年表
年代設定は、だいたいそこらへんです。
235年は、五丈原の戦いの翌年で、邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢する3年前です。
西暦 | 年号 | |||
魏 | 呉 | 蜀 | ||
232年 | 太和六年 | 嘉禾元年 この前年、会稽で嘉禾が生えたので、新年から改元。 | 建興十年 | 十月、魏の公孫淵、呉に臣従を申し入れる。 |
233年 | 太和七年 青龍元年 青龍が出現し、二月に改元。 | 嘉禾二年 | 建興十一年 | 十二月、魏の公孫淵、呉の使者を斬り、魏に寝返る。 |
234年 | 青龍二年 | 嘉禾三年 | 建興十二年 | 二月、蜀の諸葛亮が出兵したため、司馬懿が対陣。 三月、山陽公(後漢の献帝)死去。明帝、喪に服す。 五月、呉の孫権は合肥へ、陸遜・諸葛瑾は襄陽へ進出する。 七月、呉軍の進出をうけ、明帝が東征し、呉軍退く。 八月、諸葛亮、五丈原で陣没する。 |
235年 | 青龍三年 | 嘉禾四年 | 建興十三年 | 正月、大将軍の司馬懿を太尉とする。 二月、魏の皇太后(郭女王)死去。 この年、明帝、洛陽宮を大修理&新築する。 |
236年 | 青龍四年 | 嘉禾五年 | 建興十四年 | 二月、呉の張昭が死去。 十二月、魏の陳羣が死去。 |
237年 | 青龍五年 景初元年 | 嘉禾六年 | 建興十五年 | 正月、魏にて黄龍が出現した。 七月、呉の朱然が魏に出兵、敗退。公孫淵、自立して燕王と号する。 |
238年 | 景初二年 | 嘉禾七年 赤烏元年 | 建興十六年 延煕元年 | 正月、司馬懿に公孫淵討伐の詔勅が下る。 九月、司馬懿、公孫淵を斬る。 倭の女王卑弥呼、魏に使者を送り、親魏倭王の詔書・印綬を受ける。 |
ちなみに235年には、司馬懿は56歳で太尉(軍事のトップ)、陳羣は司空(水利土木のトップ)です・・・・パラレル〜
参考 生没年表