青青日記

中国簡体字が表記できるかテスト
天桥长途汽车站

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 テストしてみましたが、IE、Firefox、Operaでは表記されますが、Safariでは文字化け起こしました。どうしてなんだろう。。。
 ちなみに、自分のブログを中国から閲覧したら、ひらがなは正しく表記され、漢字はすべて文字化け。なんとかならんのかしら。。。(ブログの初期設定の文字コードはSift−JISなのに、個人的にUTF−8に直してるのが悪いのかな???)
 ・・・まあ実際、日本国内で読めれば、いっこうにかまわないのですが。ワールドワイドウェブだからってワールドワイドにしようとか全然思ってないし。
旅行 |2010.05.23 Sunday 10:30 | comments(2) | - |
河南・北京へ 9日目 北京
 この日は涿州へ行く予定だったのですが、雨だったため順延して、北京観光にしました。
 というか、みやげを買う&故宮です。
 そんなわけでこの日はほとんど写真を撮らず。(故宮博物院は、宮殿だけでも写真集2冊持っとるしなあ。)
 そして、前門大街からずっと歩いていって、正陽門、天安門広場、天安門と堪能したあたりで、気付けばすでに12時。あれ、このペースだと、全然見終わらないぞ、と感じ始める。。。
故宮博物院・武英殿ちかくの花 これは故宮博物院の武英殿近くに咲いていた花。
 武英殿は書画館になっていました。
 入場するなり顧之「列女図巻」が展示してあってびっくり大興奮。(「八卦の空」描いたとき参考資料にすごい見たー!!)
 周掘峇扇仕女図」、顔真卿の書、趙伯駒「江山秋色図巻」などなどを見ることができました♪

 それにしても武英殿って、政治の中心だった時期もあるのに完全に美術館扱いなんだ・・・
故宮博物院・柳絮 武英殿の逆サイド・文華殿は陶瓷館。汝窯は6コ出展してました。
 そのほか、各所にいろんな展示が・・・
 あああ面白いけど、このままじゃ太和殿(故宮のメイン)にたどり着かないうちに閉館時間になってまうーー!!なんでこんなにムヤミと広いんだ!
 激しく歩き疲れてきたので、アッサリと見てまわろうと方針転換。

 写真は、保和殿を北から撮ったもの。柳絮がたくさん飛んでいて(旅行の間中、河南でも河北でも飛びまくっていました)それを写したかったんですが無理ですた。
故宮博物院で夕立 残り時間が1時間強しかなくなったので、皇極殿(珍宝館)をあきらめて養心殿の方角をセレクト。
 養心殿にいたとき、雷雨が来ました。この日は朝に雨が降っていて途中から快晴になって暑くなったので、夕立も納得でした。
 紫禁城で雷にあうなんて滅多にないと、がぜん元気を取り戻しました。
故宮博物院・秀選女の札 西六宮(后妃たちの住居だったところ)には、後宮の生活品の展示がありました。
 これは秀選女(後宮に上がる試験)のときの受験票だそーです。こんな面白いもん見せられたら、アッサリはできないです。

 5時で閉館。北の神武門から出ました。
夕立のあとの故宮博物院 夕立の後の故宮・御花園。前門大街のごみ箱 前門大街のごみ箱。
 今回の旅行で分かったことは、中国人と日本人は「ごみ箱のデザインにこれはアリか、ナシか」のセンスが違うということです。
旅行 |2010.05.18 Tuesday 23:59 | comments(2) | - |
河南・北京へ 8日目 鄭州から北京へ移動
 朝、鄭州をたって飛行機で北京へ。昼には北京市街につきました。
 ホテルは故宮の南西方向、天橋の近くにしました。
 というのも、北京では涿州(劉備・張飛の故郷)へ行くのが一番の目的で、ネットで調べたら「天橋バスターミナル」からの長距離バスが便利とあったからです。
  参考にした記事その1:中国バックパッカー北京旅行記
  参考にした記事その2:三国志の劉備の故郷、桃園結義の「楼桑村」
 ホテルへ荷を置くと、ひとまず「天橋バスターミナル」の位置を確認してから観光しようと、ホテルのおっちゃんに筆談で場所を聞いて出発。そして・・・
 目的のバス停を発見するまでに1時間半ほど迷う。
 いやあ、天橋って名のつくバス停っていっぱいあるんですね。(ここらへんから、私のうかつさ・・・ていうか準備の悪さが勢いづいてきます。)
 でも、歩いているうちに「そいうや天橋って、清〜民国のころの北京の繁華街じゃね?」と気付き、おおおこの場所を魯迅や老舎や梅蘭芳も歩いたかもしれない!とテンションが上がりました。何もないところでも十分楽しめるので、オタクって便利ですね。
天壇公園の猫 とにかく、バス停「天桥长途汽车站」が確認できたので、天壇へ歩いて向かいました。
 これは天壇公園にいた猫。
 中国では犬はよく見ましたが、猫にはここでしか会いませんでした。
神楽署天壇公園・神楽署[天坛公园・神楽署]
 天壇へ行ったのは2度目ですが、前はツアーだったため、神楽署という建物があることすら知りませんでした。
 古代から受け継がれた礼楽についての展示があります。
 礼楽とか、本を読んでもわけが分からなくて何だそりゃだったのですが、実物があると一目で理解できて、大変感動しました。
神楽署の雷鼓 このオモシロ太鼓も、古代からある楽器で「雷鼓」というそうです。

 天壇のメイン「圜丘壇」「皇穹宇」「祈年殿」は観光客がいっぱい。写真は、世界遺産の本でも見ればいいので全く撮りませんでした。
 でも、皇帝が天地を祀るとゆうのはこうゆうことか、とあの空間の世界観に感動しました。
湖広会館湖広会館[湖广会馆]
 夜は湖広会館で京劇を観ました。
 これが近かったことも、ホテルを天橋に決めた理由のひとつです。
 清代の劇場で、京劇資料館が併設されていました。(展示はごくわずかですが、またもや大いに盛り上がる私。)
 中国語・英語の字幕があり、日本語イヤホンガイドもありました。(使わなかったけど。) 
湖広会館にて北京風雷京劇団 出演は「北京風雷京劇団」。演目は「盗御馬」「廉錦楓」「孫悟空三借芭蕉扇」で、写真は孫悟空。
 京劇舞台で観ると、やっぱり京劇はおもしろいです。役者と客との距離が近く、表情やしぐさがつぶさに見えて、京劇の演技ってこんなに面白かったっけ?!と思うほとでした。やっぱり海外公演の大きなステージとは全然違うものなんですね。
 客席にはお茶とお菓子があり、茶菓子をつまみ談笑しつつ日がな一日戯院ですごした・・・という老北京の生活を偲ぶことができました。
旅行 |2010.05.17 Monday 23:59 | comments(0) | - |
河南・北京へ 7日目 河南博物院・商代遺址
 この日は、出発前の計画では安陽へ行き、殷墟と、あわよくば昨年末ニュースになった曹操高陵へ突撃してみようと考えていました。しかし、鄭州から安陽へ行くのに片道3時間くらいかかると分かり(ガイドさんからもオススメでないと言われ)、ここまで連日、移動距離が長くて「私は中国に車に乗りに来たんじゃない!」と思っていたところなので、予定を変更して鄭州市内観光にしました。
 というか、河南博物館で資料本を探すことにしたというか・・・
 河南博物院[河南博物院]は、身分証を見せれば入場料無料・フラッシュ禁止で写真撮影OK。お客がたくさんいて、常設展示がこんなに住民でにぎわっている博物館は初めて見ました。
 行ってみて思ったこと:中国古代史好きなら必見です。
殷代の温県の青銅器温県出土の青銅器
司馬懿の故郷・温県は、殷代には王室の田猎区(狩猟区・・・てことだと思います)だったそうです。
1968年に「徒」字銘文の青銅器が出土し、「徒」族がこの一帯に居住していたと考えられてるとか。
リアル復元武器復元武器。
博物院は全部で展示室が13あり、先史〜戦国時代で8室使い、漢・三国・南北朝で2室、隋唐・宋元がおのおの1室ずつ、明清が1室という・・・まるで日本人の中国史知識のよーなかたよりっぷり。笑
後漢の陶楼がタンスのよーに並んでいます漢代の墓から出土した陶楼が、まるで家具屋のタンスのよーに並んでいます。
陶俑や画像石が見たくて、日本で展覧会があるとレアだレアだと騒いでいた自分がアホらしくなってきました。

展示物には、2005年出土のものもありました。
数年後には、曹操高陵の出土品がここに並ぶ可能性もあるかと、ちょっと期待。
清明上河図の復元模型宋のフロアには、清明上河図の復元模型なんてものも。
北宋の都・開封をさいごに、河南省は政治の中心地ではなくなっていったんですね。
 博物院の書店で『中国歴代后妃陵墓』(黄濂/編著 大連出版社 )という本を見つけ、魏文帝甄皇后陵(曹丕のヨメ・甄后の墓)は安陽にあると知りました。(草ぼうぼうのようです。)
 曹丕と甄后のお墓参りに、また来たいなーなどと考え始める私。。。
商(殷)代遺址商代遺址[商代遗址]
鄭州の市街地にある商(殷のこと)の時代の王城跡。
3500年前の遺跡!
っても例によって城壁のみ。
公園として整備されていて、地元民の生活にとけこんでいました。
 この日は雨で、鄭州市街地を歩き回って、スニーカーが水没しました。。。
旅行 |2010.05.16 Sunday 23:59 | comments(0) | - |
河南・北京へ 6日目 嵩山少林寺 
 この日からはガイド・ドライバーなしの本当の一人旅です。
 ところが、私の旅計画を聞いたガイドさんが、この日の朝もホテルへ来てくれて、登封(嵩山のふもとの町)行きのバスへ私を乗せてくれました。本当にありがとうございました。
 鄭州から少林寺へは、長距離バスで2時間ちょっとくらいでした。
嵩山少林寺嵩山少林寺[嵩山少林寺]
北魏の大和19年(495年)創建。
ダルマさんが禅宗を開いたお寺です。
また、嵩山は五岳のひとつであり、山岳信仰・道教の山でもあります。

ただ、建物はおおむね近年の再建で、史跡としてはビミョウ・・・。
この日は土曜日だったせいもあり沢山の参拝客でにぎわっていて、なんとゆーか、浅草寺に近いノリだなと感じました。
少林寺僧の生活戸が開いていて、ふと覗けてしまった少林寺僧の生活。
十方禅院ののんだくれ像少林寺は日本でも写真集が出てるし、映像で見られるので写真はあまり撮りませんでした。

十方禅院の五百羅漢[十方禅院 五百罗汉]
ごく最近に造られたらしい五百羅漢像ですが、等身大・彩色で500体というのはちょっとめずらしいかな、と。
表情やポーズが漫画ちっくで、けっこう笑えました。これは友人の呑み助を思い出しつつパシャリ。
少林寺武術学校訓練所少林寺の寺域にある武術訓練所
小中学生くらいの少年が団体演武の練習をしていました。「わー、ワンチャイ(※)オープニングだー」と盛り上がる私。(※香港映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズのこと。)
しかし本当のびっくりはその後。
リアルワイヤーアクションが始まりました。
後ろに組まれている巨大な台はそのためのもので、あれをバックに、学生が何十メートルも飛び上がったり、つながって波を作ったり、一人のまわりに翼をつくったり・・・かなり長い時間やっていました。
しかも人力!!
下で、やはり学生が集団でロープを引いていました。(横移動はおそらく機械操作。)
少林寺はんぱねえ。
少林寺武術館演武庁少林寺武術館演武庁[少林寺武术馆演武厅]
訓練所だけでも十分おなかいっぱいでしたが、ステージでの演武も見られます。
これは開演前に、お客さんと少林僧の写真会をやってるところ。
演武の内容は、いろいろな武器を使ったやつや、関節技(軟体人間)、形象拳(たぶん虎拳・カエル・鶴拳だった気がする。なにしろ司会が中国語だから一切分かりません。カンフーショーは解説なんて無くても楽しめますから平気ですが。)、気功でスゴイことやります的なやつ、等。よく練られたショーでした。
演武を終えた少林僧演武を終えた少林僧。
このほかにも各所で武術を見物できました。

武僧はみな若く、師傅レベルは観光客相手の演武にはやはり出てこないようです。
あと、武僧はわきの下を処理してました。頭の毛以外も剃るんですねえ。(何を見てるんだお前)
少林寺塔講武術学校少林寺塔溝武術學校[少林寺塔沟武术学校]
寺域にある武術学校。
お寺内をふつーに生徒が歩いていて、そういうときの彼らはふつーの子ども達で、なんだか応援したくなりました。

それにしても、あの演武をやってるのは本当に少林僧なんでしょうか?
武術学校の生徒・OBなんじゃないのか・・・?
少林寺の花少林寺の中のしろつめくさ畑
少林寺は、[鮖僕獲茲あり、格式の高いお寺・道観であり、Hしい自然があり(私は行かなかったのですが、ロープウエーで山の景観を楽しめる)、い靴もカンフーテーマパーク、ということで、とても良い観光地だと思いました。

少林寺のごみ箱少林寺のごみ箱。
獅子の口の中にごみを捨てます。
少林寺の電話ボックス少林寺の電話ボックス。
上に仏像が乗っています。
旅行 |2010.05.15 Saturday 23:59 | comments(0) | - |
河南・北京へ 5日目 虎牢関・司馬懿故里・鄴城三台遺址
 旅行会社からスケジュールが送られてきたときに、えっ?この3ケ所を一日でまわれるの?と思いました。直線距離でも300キロ近くあり、とにかく高速道路をぶっとばしました。
 朝、鄭州を出発。
虎牢関碑虎牢関碑[虎牢关碑]
清の雍正9年(1731年)刻立。
虎牢関は、北に黄河が流れ、山がせまっていて、なるほど関所というのはこういう地形か、と思いました。
虎牢関の三義宮虎牢関三義宮[虎牢关三义宫]
虎牢関で活躍した桃園三兄弟をまつる三義宮(っても関羽しかいない)。
これから大規模に増築される予定のようでした。
三義宮前にはふしぎな踊りのよーなお参りをしているおばさんがいました。
虎牢関近くの山道虎牢関近くの山道
あ、もちろん心の中で思ってたことは「わー、三国無双の虎牢関ステージwww」です。

山の中にはヤオトンが沢山。
このヤオトンの延長に龍門石窟があるんだと頭の中でつながりました。
大平原のどこまでも広がる畑。ヤオトンのある切り立った山々と林。なんとなく中原の大地とゆうものが分かってきた気がしました。
 黄河の南の伊洛河を渡る直前、なにか建設中の史跡の前を自動車が通過しました。ガイドさんに聞いたら、「杜甫故里」とのこと。
 杜甫って、洛陽近くの生まれなんですねー。
司馬懿故里車は黄河を渡り、温県へ。
テンション上がる私。数年来、文字で知っていただけの「河内郡温県」にとうとう来たんですよ。
農村のなかのとことん一本道を進む車。
司馬懿故里は、道路わきに、草ぼうぼうの小さな小さな公園という感じで登場。
司馬懿故里の司馬懿像司馬懿故里[司马懿故里]
うわー、話に聞いていた通り、ほんとに司馬懿像しかない。

周囲はやはり平原。
司馬懿はゆたかな農地の豪族だったんだなと納得。
田舎で、でも洛陽にぼちぼち近い。まあ、埼玉の与野あたりの感覚か? 笑
鄴城の近くの村温県で昼食をとって高速に乗ったのが13時すぎ。
鄴城のあたりへ着いたのは16時半でした。
ここでしばらく道に迷い、ドライバーさんは地元民に聞きながら進みます。
地元民の方言がひどいと笑うドライバーさん(洛陽在住)とガイドさん(鄭州在住)。河南省と河北省でも言葉がちがうんですねえ。
鄴城博物館を建設中鄴城跡の近くでは、農地のどまんなかに大きな鄴城博物館を建設中。
この臨漳県には「曹魏大路」という道路もあったし、これで町おこしをはかっていると見ました。
出土品をちゃんと展示する施設は必要だと思います。
でもきっと、華々しくオープンして、その10年後にはあの南陽漢画館みたいにさびれるんでしょうな。その時にまた来たいです、ぜひ。
鄴城三台遺址鄴城三台遺址[邺城三台遗址]
やっと着いたー!!
到着したとき、なぜか子どもが沢山いて、曹操像が子どもの遊び場になっていました。
鄴城復元模型鄴城三台とは金鳳台、銅雀台、冰井台のことで、建安15年(210年)〜建安19年(214年)のあいだに曹操によって建設されたものです。現在は金鳳台跡に廟が建っていて、そこから北が銅雀台跡。冰井台は農地になってしまいました。
金鳳台には展示があり、ミニ博物館のレベルでした。
これはそこにあった鄴城復元模型。
ほ し い 〜!!!
銅雀台跡あたり銅雀台跡。
ここも工事中でした。

すでにだいぶ西日は傾いていて、オレンジの夕陽と地平線と緑の大地と、それを一望できる高台の遺跡。1800年前の曹操たちを偲ぶには絶好の環境でした。
鄴城は、三国志旅のクライマックスにふわさしい、充実満足の史跡だと思います。
 18時半ころ鄴城跡を出発、ホテルに着いたのは21時半。
 ドライバーさんはこれから洛陽へ帰るとのこと。(お疲れ様です。安全運転で誠実な仕事ぶりで、良い方でした。)
 やっぱり今日のスケジュールには無理あった気がします。
興味のあるかたはアルバムページもどうぞ。
旅行 |2010.05.14 Friday 23:59 | comments(0) | - |
河南・北京へ 4日目 許昌
 朝、南陽を出発し、高速道路で許昌へ向かいます。許昌へついた頃に天気が良くなってきました。
灞陵橋灞陵橋[灞陵桥]
曹操に降伏した関羽が、劉備の所在を知って許都から旅立ったという場所。関羽千里行の出発地ですね。
きれいに整備された公園になっています。
※関羽がいたときの地名は「許」。曹丕が皇帝に即位して、名を「許昌」とあらためたのです。
灞陵橋公園の中の関帝廟灞陵橋公園の中の関帝廟
関帝サマにはそろそろウンザリしてきましたが・・・
春秋楼春秋楼[春秋楼]
関羽が許都にいたときの居宅跡。
夜も寝ないで春秋(歴史書)を読みつつ二人の兄嫁(劉備の夫人)を警護していた、とかいうので春秋楼。
全世界に広がる関帝廟の総本山のひとつ。(関帝廟は全世界の中華街にあります。)
大仏関羽どどーん!!
春秋楼の中の大殿に鎮座する大仏関羽。
関帝サマにちょっと飽きてた私ですが、なんかふっきれてグッと面白くなりました。
脇侍の関平・周倉も、青龍偃月刀も、「漢寿亭侯」のはんこも、とにかくビッグサイズです。デカけりゃいいってもんちゃうやろ、のツッコミを吹きとばす面白さです。
許昌博物館許昌博物館[许昌博物馆]
メインは「文峰塔[文峰塔]」という明代の仏塔のようで、古代史の展示はさほどありませんでした。
博物館にはお客が全然いませんが、敷地は地域の公園みたいになっていました。
許昌宮復元図許昌博物館にあった許昌宮復元図。
うっわー! これ欲しいー!!と思ったけれど、やはり資料本のたぐいは一切なし。
中国の博物館は、基本的に写真撮影フリーのようなので、欲しいものは撮るしかないです。(整備された博物館ではフラッシュ禁止のようなので、こういうひなびた所でも、フラッシュはやめておきました。)
曹丕の墓の近くの風景許昌市内を出て、毓秀台へ向かう途中、将官池鎮という村を通りました。
そこには曹丕の墓(魏文帝廟[魏文帝庙])があるはずなので、ガイドさんに立ち寄れないかと相談しましたが、時間が押してるので無理とのこと。
あきらめきれず、自動車の中から写真を撮る私・・・
毓秀台(漢魏許都故城遺址)毓秀台(漢魏許都故城遺址)[毓秀台(汉魏许都故城遗址)]
建安3年(198年)、曹操が後漢の献帝のために造った祭壇。献帝は毎年秋分にここで天に祈りをささげたそうです。(皇帝としてのセレモニーですね。)
畑の中にぽつんと高台があるので、おおっ!史跡だ!!とワクワクします。
台上には天爺廟があり、おばちゃんにお賽銭を強制されました。廟内にあるおもしろい神像を写真に撮っていたら、おばちゃんにインネンつけられましたが、ガイドさんが撃退してくれました。
畑の中のお墓ふたたび許昌郊外を車で走っているときの風景。
畑の中に土まんじゅう(中国のお墓)がぽつりぽつりとあります。
私は志怪小説(中国の昔話。ふしぎな話・幽霊話などなど)が大好きで、それには「荒れ果てた塚」なんてのがよく出てくるので、ああ、こういう風景なんだなあと感動しました。
受禅台受禅台[受禅台]
西暦220年、曹丕が後漢の献帝より禅譲を受け、皇帝に即位した場所。
許昌市街地より約20kmの、臨頴県にあります。
かなり農地に埋没しかけてる雰囲気・・・
受禅台の上にいたヤギ受禅台の上ではヤギが放牧中。
(ガイドさんは「羊(ヤン)」だと言っていました。ヤギじゃなくてヒツジなのかな??)
受禅台の上は油菜畑あとは油菜(ユーツァイ。おそらくアブラナと同じ)畑。
1800年前の政治の大舞台も、アブラナ畑になりはてぬ。
なんというか、ここで、古代の遺跡をたずねる醍醐味を生まれて初めて味わった気分になりました。
日本の遺跡はもうだいたい整備されていて、草むした所など滅多にありません。
道路に案内看板もなく、地元の人に道をたずねながら遺跡にたどりつき、うちすてられた姿を見て時の流れを知る・・・。まさに芭蕉が「夏草や つわものどもが 夢のあと」と詠んだ感興のような気がしました。
◇南陽・許昌の感想。◇
 三国演義ベースの関羽・諸葛亮の史跡は、史実の根拠なくとも熱心に観光地化されていて、本当の史跡のほうはクールに扱われている。このギャップがたまらないです。
 関羽・諸葛亮系で俗気にあてられ、とっはーとなったところで、うちすてられた草深い史跡へ行って清涼感を味わい、悠久の歴史を感じる。
 歴史好きゴコロをくすぐるフルコースです。

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旅行 |2010.05.13 Thursday 23:59 | comments(0) | - |
河南・北京へ 3日目 南陽
 朝、洛陽を出発し、高速道路に乗って南陽へ向かいました。
臥牛山あたりの風景高速の上から撮った、臥牛山脈あたりの風景。
南陽武侯祠南陽武侯祠[南阳武侯祠]
これは諸葛草廬。
静かな良いところでした。ここを見ている間に雨が降ってきました。
武侯祠のなかにあった漢墓武侯祠の敷地内にあった漢墓。
後漢のお墓に実際に入れます。一気にテンションが上がる私。入場料5元。中では、画像石が無造作に積まれたりしていました。
漢画館南陽漢画館[南阳汉画馆]
画像石専門の博物館。画像石好きなのでワホーイ。
しかし、客は私たちのみ。売店なども開店休業状態で、関連書籍もまったく置いていませんでした。がっくし。
というか、南陽あたりでは画像石にはまったくレア感がなく、後漢墓もゴロゴロあるんだとだんだん分かってきました。
南陽は後漢の光武帝の出身地で、洛陽からほど近く、後漢代には富豪や名士を輩出して栄えていた・・・そういう中で諸葛亮や張仲景がこの土地にいたんだ、とはじめて理解できました。
医聖祠医聖祠[医圣祠]
三国時代の医師で『傷寒論』を著した張仲景の墓所。
傷寒とは、インフルエンザとか疫病とか、そんな感じ(たぶん)。今でも風邪薬で使われる葛根湯・小青龍湯・小柴胡湯・甘草湯などは『傷寒論』に載ってるそうな。
建安年間に流行した疫病で家族を失って、張仲景は医術をこころざしたそうです。
張仲景の墓張仲景の墓。
興味のあるかたはアルバムページもどうぞ。
旅行 |2010.05.12 Wednesday 23:59 | comments(0) | - |
河南・北京へ 2日目 洛陽
 終日、自動車で移動して洛陽観光。
龍門の伊水 龍門の伊水。
伊尹ファンの私は、伊水と聞いただけでワホーイ。
龍門は、水と山があり明るく気持ちのいい土地で、白居易が隠居所にえらんだのも道理だなと納得しました。また、三浦國雄『中国人のトポス』で読んだ、龍脈(大地のエネルギー。ここでは伊水がそれを象徴する)が龍門を通って洛陽へ流れこむという風水的イメージも、ようやく理解できました。
龍門石窟龍門石窟[龙门石窟]
壁にくまなく掘られた窟。
驚くのは、ほとんどの仏像がすでに盗難・破壊されていること。龍門の仏像は、日本にもかなりあると思います。
関羽の首塚関林廟[关林庙]
関林廟の関羽の墓。
関羽の遺体は、体は当陽に、首は曹操に届けられて洛陽郊外に葬られました。塚は8角形で、一辺の長さは私の歩幅(約60cm)で37歩。
白馬寺白馬寺[白马寺]
中国最古の仏教寺院。
後漢の永平11年(68年)創建。
漢魏洛陽故城漢魏洛陽故城[汉魏洛阳故城]
漢・魏・晋・北朝期の洛陽は、隋唐の洛陽城と位置が違います。畑の中に城壁のみ残っています。
整備中の漢魏洛陽故城の東北角漢魏洛陽故城の東北角は史跡として整備中のようでした。
漢魏洛陽故城の説明版そこにあった説明版。中国語が読める方なら、ちゃんと意味分かるかと。写真が不鮮明ですが。。。汗
洛陽天子駕六博物館天子駕六博物館[天子驾六博物馆]
洛陽市街地の中にあります。
本当は洛陽博物館へ行く予定でしたが、休館中でこちらへ変更に。車輿好きの私としては、思わぬ収穫でした。
興味のあるかたはアルバムページもどうぞ。


洛陽の牡丹洛陽は牡丹の名所。
ちょっと時期が遅くて、花はだいたい終わっていました。
白馬寺のごみ箱白馬寺のごみ箱。
旅行 |2010.05.11 Tuesday 23:59 | comments(0) | - |
河南・北京へ 1
 中国語も英語もできない青木が、河南省と北京を一人旅してきました。
 一人旅といっても、前半は旅行会社のガイドさんに案内してもらい、後半だけバックパッカーです。
 お世話になった旅行会社は、AraChina(桂林中国国際旅行社有限責任公司)。サイトはこちら
 月日都市スケジュール宿泊
D15月10日 東京から北京へ。北京から洛陽へ。洛阳新友谊大酒店
D25月11日洛陽終日、洛陽観光。
龍門石窟。関林廟。白馬寺。漢魏洛陽故城。天子駕六博物館。
洛阳新友谊大酒店
D35月12日南陽洛陽から南陽へ移動。
南陽武侯祠。漢画像館。医聖祠。
南阳宾馆
D45月13日許昌南陽から許昌へ移動。
灞陵橋。関帝廟。春秋楼。毓秀台(漢魏許都故城遺址)。受禅台。
許昌から鄭州へ移動して宿泊。
中州快捷酒店
D55月14日鄭州
虎牢関。司馬懿故里。鄴城三台遺址。
この3つをめぐるため、車で何百キロもぶっとばす。鄭州泊。
中州快捷酒店
ここまでがガイドさん・ドライバーさん・自動車付きのツアー。以下が個人旅行。
D65月15日登封鄭州から少林寺へ日帰り観光。中州快捷酒店
D75月16日鄭州鄭州市内の河南省博物院と商代遺址。中州快捷酒店
D85月17日北京鄭州から北京へ移動。ホテルの近くを観光。
天壇公園。湖広会館。
前门照康之星宾馆
D95月18日北京北京観光。
前門大街。正陽門。故宮博物院。
前门照康之星宾馆
D105月19日涿州北京から涿州へ日帰り観光。
三義宮。中央電視台涿州影視城。
前门照康之星宾馆
D115月20日北京紀暁嵐故居。
夜、羽田空港へ戻る。
 

※旅行記に、中国簡体字を使うときがあります。パソコンによってはうまく表示されない場合があると思いますが、スルーしてやってください。(簡体字を使うのも、私の自己満足なので。)

 見てお分かりのように、三国志・魏ツアーです。 
 初日は、北京空港でコーヒーを飲みながら『「三国志」歴史紀行』をドロナワで読んでいました。洛陽に着いたのは夜。

◆旅行に持っていった本。
『「三国志」歴史紀行』龔学孺/著 尚文社ジャパン1994年 三国志遺跡紹介サイトがこぞって賞賛する本です。
「地球の歩き方 中国 2009〜2010年版」 本を軽くするため、不必要なページは切り落として行きました。
『旅の指さし会話帳 中国』麻生晴一郎/著 情報センター出版局1999年
旅行 |2010.05.10 Monday 23:59 | comments(2) | - |
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