青青日記

陳羣の年齢について
 陳羣は生年の記録がありません。
  陳羣(?〜236年)
 まあヒマにまかせて年齢の推定をしてみることにしました。

 まず推定の手がかりとして出仕年を見ます。

 劉備臨豫州,辟羣為別駕。(魏書・陳羣伝)
 劉備は豫州を支配すると、陳羣を召して別駕とした。

 劉備が豫州を支配してたのは194年。
 『正史三国志』読んでて初出仕の年齢は20歳くらいの人が多い気がするので(※)、このとき陳羣が20歳とすると、175年生まれになります(数え年なので)。孫策・周瑜と同じ年、曹丕とは干支ひと回り違う(卯年)ことになります。
 (※ 推定に当たって一番大事なところがアバウト。)

 ただ、気になるのは『世説新語』です。(世説新語=南朝宋の劉義慶(403-444年)の著。後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた小説集。)
 『世説新語』では、陳羣は荀と同年代あつかいされています。
  荀(163年〜212年)(そういえばこの方も卯年・・・)

陳太丘詣荀朗陵,貧儉無僕役。乃使元方將車,季方持杖後從。長文尚小,載箸車中。既至,荀使叔慈應門,慈明行酒,餘六龍下食。文若亦小,坐箸□前。于時太史奏「真人東行。」(世説新語・徳行6)
 陳寔(陳羣の祖父)は荀淑(荀の祖父)をおとずれようとして、息子の陳紀(陳羣の父)・陳遒剖Δ鬚気察陳羣はまだ幼いので車に乗せた。到着すると、荀淑は8人の息子に出迎えさせたが、荀だけはまだ幼いので膝元に座らせた。このとき朝廷の天文官は「洛陽東方の潁川郡に聖人の星が集まりました」と報告した。

正始中,人士比論,以五荀方五陳。荀淑方陳寔,荀靖方陳遏よα嵎陳紀,荀方陳羣,荀敲陳泰。(世説新語・品藻6)
 正始年間には人物論評をするとき、荀氏の5人を陳氏の5人にならべた。荀淑は陳寔に、荀靖は陳遒法∵α屬歪諜に、荀は陳羣に、荀擇歪賃戮法△修譴召貳羈咾気譴拭

《参考に家系図 陳氏・荀氏》
陳羣の家計図荀の家計図

 ,里曚Δ覆鵑完全に陳羣・荀が同い年くらいの扱いなんですが。。。
 まあ、『世説新語』は小説だし、ファンタジーだし、考証に使うのは間違いなんだろうけど。でも△如∪技惑間(240年〜249年)とか言われると真実味あるよね。
 同世代なのに荀の娘婿ってどういうことなの。

 あとは、197年頃の話として無官の者が交友を広めるためには陳羣や司馬朗に会いに行ったらよいと評されたりしてるのも気になります。(魏書・禰衡伝)
 荀まで年長でなくとも、司馬朗(171年〜)・郭嘉(170年〜)あたりと同年代かもしれません。

 漫画の中では、あんまりおっさんなのもアレなので、175年生まれに設定しています。
 ご助言・ご指導求めます。
中国史オタ |2011.11.06 Sunday 23:59 | comments(4) | - |
「三国志ミステリー 覇王・曹操の墓は語る!」
 日曜日にBSジャパンで放映された「三国志ミステリー 覇王・曹操の墓は語る!」を録画で見ました。
 自分はネットではあんまり悪口を言わないことにしてるので、特に感想はありません。
 三国志オタクの友人で集まって、ツッコミながら見たらサンドバック的な意味で楽しいかもなぁ。そんな友だちは身近にいないけど。
中国史オタ |2011.11.02 Wednesday 23:59 | comments(3) | - |
曹操のヨメと子どもたち
 曹操の子ども達が登場する漫画と聞いて、先日、ガンガンONLINEの「曹植系男子」を拝見しました。
 そこでは、曹沖(六男)とありました。
 あれ、「三国志ジョーカー」では七男にしてしまってるけど、ほんとは六男なのかな・・・? 汗

 そんで、去年の夏ごろ自分で作った曹操の子どもリストをひっぱりだしてみました。
  ●曹操の夫人と子どもリスト
  ●「三国志ジョーカー」での曹操の子ども達の年齢設定

 「曹植系男子」では、1曹丕2曹彰3曹植4曹熊5曹彪6曹沖の順でした。
 あらためて調べてみたら、ネットの Wikipedia や My三国志 では曹彪が七男と書いてあります。Σ( ̄ロ ̄lll) ガーン
  Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E5%BD%AA
  My三国志 http://my3594.net/wiki/%E6%9B%B9%E5%BD%AA
 しかも曹彪の生年が195年だと?!ざわ・・・

 ここらへんのソース誰かご存知でしたら教えてください。。。

 「三国志ジョーカー」での子ども達の年齢設定は、適当です。(どーせ史料残ってなくて分からないんだろ、とタカをくくっておりましたので。)
 曹植を三男、曹沖を七男にしようと先に決めていて、それに合わせて操作しました。ええ、「三公子」「七公子」って呼びたかったんです。
 あとは、初封の年と跡継ぎの有無からざっくり推定しました。
 たとえば曹熊は、○生きているあいだに封爵をうけていないので、211〜217年頃には死亡していた、○しかし子どもがいる、○そんで曹植より年下、の3点から、195年生まれ、的な。

 それで一番気になるのは、曹操の年齢なんですよ奥さん。
 「ジョーカー」設定の場合、曹操(155〜220)が何歳のときに子どもが幾人生まれたかというと、
20代2男1女
30代7男
40代13男
50代2男
60代1男

となっています。
 40代13男はちょっと無理あるんじゃないか、女児が同数いたとすると倍で26子、平均して5ヶ月に1人生まれてたってことになるけどアワワ・・・と一人で色めきだっていたんですが、曹彪が195年生まれで七男てのが公式だとすると、これでだいたい合ってることになります。
 本当にそれでいいの・・・?

 40代の曹操といえば、呂布を滅ぼしたり(198年)、官渡の戦い(200年)で苦しんだり、河北平定したり、忙しかっただろうに・・・。
 ごちそうさまです。この妄想だけでしばらく楽しく暮らせます。
中国史オタ |2011.04.02 Saturday 13:06 | comments(4) | - |
「邪馬台国を掘る」
 夕食を食べつつNHKスペシャル「邪馬台国を掘る」(23日放送)を見ていたら、唐突に魏の洛陽城の復元CGが出てきたのでご飯を吹きました。
 番組そのものは全体にずさんな作りで(低予算?)、「近畿説必死だなw」とゆう感想だったのですが、あの洛陽城発掘現場&CGの映像(トータルで20秒くらい)が入手できたので満足です。

 というか、邪馬台国論争ってすでに100年もやってるんですか。
 論争といいつつ、東大(北九州説)と京大(近畿説)の学閥争いだとかつてどこかで聞いたんですが本当かどうかは知らない。。。
 昭和のころまでは、皇国史観とかの関わりで人々が白熱するネタだったみたいですけど、今はそこまでのニュース力がない気がします。金印とか文字資料とかが出なければ決着しないだろうし。
 ぶっちゃけ、科学的な発掘研究にとっては卑弥呼とかどうでもよくね?
中国史オタ |2011.01.31 Monday 23:51 | comments(3) | - |
京劇「臙粉計」
楊貴妃になりたかった男たち <衣服の妖怪>の文化誌 (講談社選書メチエ) 武田雅哉『楊貴妃になりたかった男たち』(講談社選書メチエ 2007年)で、京劇の三国志に「臙粉計」という演目があることを知りました。(225〜227ページ)

 五丈原で陣を守って出撃しない司馬懿に業を煮やした諸葛亮は、魏軍に女ものの衣装と臙粉(口紅と白粉)を贈って「戦場に出てこないとは、司馬懿は女になったのか」と手紙を付ける。それを見て魏将たちは怒るが、司馬懿は平然として、使者に諸葛亮のようすをたずね、諸葛亮の余命が長くないと知る。

 ・・・ここまでは「演義」そのままですが、「臙粉計」にはつづきがあるようです。

 司馬懿は贈られた女服を身につけ、諸葛亮の前へ来て「わたしきれい?」とばかりに歌い踊る。諸葛亮は「なんと司馬懿は女であったか」と罵倒し、悪寒を覚えて体調を崩し、陣へ帰っていく。おしまい。

 その続きの幕はおそらく、諸葛亮が延命祈願して魏延がKYで巨星堕つ、だと思われるので、まじで諸葛亮は司馬懿の女装ショックで死んだとしか思えない展開です。
 「臙粉計」見てえー。

 京劇ではすべての登場人物が「生(男性)」「旦(女性)」「浄(くまどり)」「丑(道化)」の4種類どれかに分類されます。諸葛亮は「生」(さらに分類して「老生」といいます)、司馬懿は白いくまどりをして「浄」(「白浄」は奸臣を意味します)。「生」の俳優は「生」しか演じないのですが、エキシビション的に、違う役柄を演じることがあり「反串」といいます。
 この「臙粉計」は、マッチョの「浄」役者が「旦」役のまねをするという「反串」のひとつかと。

参考までに・・・Youtubeより京劇「空城計」
ほぼ全編にわたって諸葛亮の唱ですが、3:16からちょっとだけ司馬懿が唱います。ちなみに、司馬懿の後ろにいて全然映らないザコっぽい二人の武将は、司馬師・昭です。
中国史オタ |2009.04.05 Sunday 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
資料本
「八卦の空」を描くにあたっていつもお世話になっていた本たちを紹介します。
中国や仙人・妖怪話に興味をもたれたら、ぜひ読んでみてください。o(^-^)o

まずは志怪小説、昔話集
捜神記 (東洋文庫 (10))捜神記
干宝/著
竹田晃/訳
東洋文庫 平凡社1964年
幽明録・遊仙窟 他 (東洋文庫 (43))幽明録・遊仙窟 他
劉義慶 他/著
前野直彬、尾上兼英 他/訳
東洋文庫 平凡社1965年
中国古典文学大系 (24)中国古典文学大系 (24) 六朝・唐・宋小説集
前野直彬/編訳
平凡社1968年
聊斎志異 上 (奇書シリーズ 6)聊斎志異 上 (奇書シリーズ6)
聊斎志異 下 (奇書シリーズ6)
蒲松齢/著
増田渉、松枝茂夫、常石茂/訳
平凡社1973年
中国古典文学大系 (42)中国古典文学大系 (42) 閲微草堂筆記 子不語
紀粥∬亘隋‖勝臣
前野直彬/訳
平凡社1971年
中国昔話集〈1〉 (東洋文庫)中国昔話集 1
中国昔話集 2
馬場英子、瀬田充子、千野明日香/編訳
東洋文庫 平凡社2007年
画像なし中国の呪法
沢田瑞穂/著
平河出版社1984年
画像なし鬼趣談義―中国幽鬼の世界
沢田瑞穂/著
平河出版社1990年

神仙ネタは
列仙伝・神仙伝 (平凡社ライブラリー)列仙伝・神仙伝
劉向、葛洪/著
沢田瑞穂/訳
平凡社ライブラリー 平凡社1993年
画像なし中国古典文学大系 (8) 抱朴子 列仙伝・神仙伝 山海経
葛洪、劉向/著
本田済、沢田瑞穂、高馬三良/訳
平凡社1969年
 「抱朴子」の全訳はとうとう入手できませんでした。。。

史書は
画像なし正史 三国志 全8巻
陳寿/著 裴松之/注
今鷹真、井波律子、小南一郎/訳
ちくま学芸文庫 筑摩書房1993年
画像なし史記 4 八書
司馬遷/著
吉田賢抗/訳
新釈漢文大系41 明治書院1995年
 天官書と封禅書は結構お世話になりました。意味はよく分からなかったりしましたが。

あとは作画資料、時代考証系。こちらは絵のない本。
中国社会風俗史 (東洋文庫 (151))中国社会風俗史
尚秉和/著
秋田成明/編訳
東洋文庫 平凡社1969年
四民月令―漢代の歳時と農事 (東洋文庫)四民月令―漢代の歳時と農事
崔寔/著
渡部武/訳注
東洋文庫 平凡社1987年
荊楚歳時記 (東洋文庫 324)荊楚歳時記
宗懍/著
守屋美都雄/訳注 布目潮渢 他/補訂
東洋文庫 平凡社1978年

以下は画像が多い本。
画像なし中国古代の生活史
林巳奈夫/著
吉川弘文館1992年
 基本中の基本。
石に刻まれた世界―画像石が語る古代中国の生活と思想 (東方選書)石に刻まれた世界―画像石が語る古代中国の生活と思想
林巳奈夫/著
東方選書 東方書店1992年
画像なし漢代の文物
林巳奈夫/著
朋友書店1996年
 これがあれば無敵。
古代中国文明―長江文明と黄河文明の起源を求めて (「知の再発見」双書)古代中国文明―長江文明と黄河文明の起源を求めて
コリンヌ・ドゥベーヌ=フランクフォール/著
南条郁子/訳
「知の再発見」双書 創元社1999年
いま見ても新しい古代中国の造形 (アートセレクション)いま見ても新しい古代中国の造形
杉原たく哉/著
アートセレクション 小学館2001年
図説 中国文明史〈5〉魏晋南北朝―融合する文明図説 中国文明史〈5〉魏晋南北朝―融合する文明
羅宗真/著 劉煒/編
住谷孝之/訳 稲畑耕一郎/監修
創元社2005年
 通史の概説書ですが、図版が豊富でとても役立ちました。
画像なし中国人物画−魏晋巻−金羊毛家庭珍蔵図庫
中国人物画−隋唐巻−金羊毛家庭珍蔵図庫
陳履生、張蔚星/主編
广西美術出版社2000年
 ネット通販で買った中国の本。全編カラー図版で大当たり。
画像なし中国五千年女性装飾史
周汛、高春明/著
栗城延江/訳
京都書院1993年
 おそらく中国時代物の絵を描く日本人はみなこの本を持ってるんではなかろうか。。。男性服飾史でもう一冊あれば良いのに。。。
画像なし中国古代の服飾研究
沈従文、王ショ/編著
古田真一、栗城延江/訳
京都書院1995年
中国古代甲冑図鑑中国古代甲冑図鑑
劉永華/著
春日井明/監訳
アスペクト1998年
 時代物で男の晴れ着はやはり甲冑だとオモ。。。
画像なし中國古代車輿馬具
劉永華/著
上海辞書出版社2002年
 某氏に中国で買ってきていただいた一冊。
図説・中国武器集成―決定版 (歴史群像シリーズ)図説・中国武器集成―決定版
歴史群像シリーズ 学研2006年
画像なし真・三国志 1〜3
歴史群像「中国戦史」シリーズ 学習研究社2000年
三国志を行く (群雄決起編) (BIGMANスペシャル)三国志を行く (群雄決起編)
三国志を行く (三国鼎立編)
山口直樹/著
BIGMANスペシャル 世界文化社2006年
画像なし三国演義 写真図鑑
神保龍太、クラブ三国迷/著
アスペクト1996年
 中国中央電視台「三国演義」の写真集。
  ほかにも紫禁城の写真集や北京四合院の本など作画に必須だった本がいくつかあるのですが、みな中国の出版物でちょっと古い本なので、省きます。
中国史オタ |2009.02.06 Friday 02:29 | comments(4) | trackbacks(0) |
歴史・伝説上の人物
「八卦の空」に登場した歴史・伝説上の人物の基本データ。登場順に。
八卦の空 管輅管公明
管輅(かん・ろ)字は公明(こうめい)。平原の人。210年?〜256年。
魏の卜占の名人。
参考:『三国志』魏・方技伝
八卦の空 曹叡皇帝
曹叡(そう・えい)字は元仲(げんちゅう)。205年〜239年。
魏の2代皇帝明帝。曹丕と甄后の子。在位226年〜239年。
参考:『三国志』魏・明帝紀
八卦の空 東方朔東方朔
東方朔(とうほう・さく)字は曼倩(まんせん)。平原の人。前154年?〜前93年?。
前漢の武帝の、頓知に優れた側近。
参考:『史記』滑稽列伝、『漢書』東方朔伝、『列仙伝』巻下
八卦の空 東方朔尹思
尹思(いん・し)字は小竜(しょうりゅう)。安定の人。
誰も覚えてないと思いますが、東方朔が「今は尹思と名乗っている」と言ってるんです。
参考:『神仙伝』巻九
八卦の空 巫炎巫炎
巫炎(ふ・えん)字は子都(しと)。北海の人。
前漢の駙馬都尉。武帝に房中術を教えた仙人。
歴史上は男性です。っていうか、実在人物かどうか不明ですが。
参考:『神仙伝』巻五
八卦の空 鈎翼夫人鈎翼夫人
姓は趙(ちょう)。河間の人。
武帝の夫人で、昭帝の生母。武帝の命で毒殺される。
参考:『史記』外戚世家、『列仙伝』巻下
八卦の空 漢の武帝武帝
劉徹(りゅう・てつ)。前156年〜前87年。
前漢の7代皇帝。在位前141年〜前87年。
参考:『史記』孝武本紀、『漢書』武帝紀
八卦の空 漢の昭帝皇太子
劉弗陵(りゅう・ふつりょう)、または劉弗とも。前94年〜前74年
前漢の8代皇帝昭帝。武帝の末子。在位前86年〜前74年。
参考:『漢書』昭帝紀
八卦の空 司馬師司馬子元
司馬師(しば・し)字は子元(しげん)。河内郡温県の人。208年〜255年。
司馬懿の長子。
参考:『晋書』景帝紀
八卦の空 司馬昭司馬子上
司馬昭(しば・しょう)字は子上(しじょう)。河内郡温県の人。211年〜265年。
司馬懿の次子。晋を建国した司馬炎の父。
参考:『晋書』文帝紀
八卦の空 魏伯陽五石先生
魏伯陽(ぎ・はくよう)。呉の人。
不老不死をもとめ丹薬を研究した道士。『周易参同契』の著者。
参考:『周易参同契』、『神仙伝』巻一
八卦の空 管辰管ちゃんの弟
管辰(かん・しん)。
『三国志』方技伝には管輅の弟として「管辰」「管季儒(かん・きじゅ)」と二つの名前が登場するので、それをまとめて彼の名は「管辰、字は季儒」にしていたのですが、それどころか名前が一切登場しなかったですね。ハハハ。
八卦の空 魯女生魯女生
魯女生(ろじょせい)。長楽の人。
誰コレってかんじですが、「紅月鬼」の師匠といって2コマほど出てるおばさんです。
参考:『神仙伝』巻十
八卦の空 東方朔安期生
安期生(あんきせい)または安期先生。瑯邪の人。
秦の始皇帝が山東半島を巡行したときに出会った仙人。
参考:『列仙伝』巻上
八卦の空 羊徽瑜羊夫人
羊徽瑜(よう・きゆ)。泰山郡南城県の人。214年〜278年。
司馬師の3人目の正妻。
参考:『晋書』列伝・后妃上(景獻羊皇后)
八卦の空 夏侯徽夏侯媛容
夏侯徽(かこう・き)字は媛容(えんよう)。沛國譙の人。211年〜234年。
司馬師の1人目の正妻。曹操の外孫。
参考:『晋書』列伝・后妃上(景懷夏侯皇后)
八卦の空 司馬懿司馬子元の父
司馬懿(しば・い)字は仲達(ちゅうたつ)。河内郡温県の人。179年〜251年。
このサイトでこの人の説明しなくてもいい・・・ですよね。(;一_一)
参考:『晋書』宣帝紀
八卦の空 東方朔伊尹
伊尹(い・いん)。名は摯(し)、あるいは湯王から阿衡(あこう)と呼ばれたとも。
殷建国の宰相。
参考:『史記』殷本紀、『尚書』
八卦の空 末嬉末嬉
末嬉(まっき)、あるいは末喜、藉遏覆个辰)、妹喜(まいき)、妹嬉とも。
夏の桀王の寵姫。淫乱で贅沢を好み、国を滅ぼした悪女。
参考:『列女伝』孼嬖伝
八卦の空 桀王
夏の第17代・桀(けつ)王。名は履癸(りき)。
暴虐で、末嬉に溺れて政治を省みず、湯王によって討伐された。暴君の代名詞。
参考:『史記』夏本紀
八卦の空 湯王
殷の湯(とう)王。天乙(てんいつ)とも。姓は子(し)、名は履(り)。
紀元前1600年頃の人。殷王朝の創始者。聖王の代名詞。
参考:『史記』殷本紀、『尚書』
こうしてみると、史実・伝説キャラはけっこう沢山いたんですね。
同じヤツが4回も出てきてうっとおしかったですか。はい。
これ以外の人はオリジナルキャラです。
オリジナル女性キャラは、名前に色が入っていました。(気づいた方はおられるのだろうか?)
中国史オタ |2009.02.05 Thursday 01:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
司馬師の妻
司馬師の結婚式 司馬師の正妻は、夏侯徽(早逝)→呉質の娘(離婚)→羊徽瑜と3人います。漫画では、呉質の娘は省きました。

 夏侯徽(かこう・き)字は媛容(えんよう)は、211年生まれで司馬師より3歳年下です。
 父親は夏侯尚(夏侯淵の甥)、母親は徳陽郷主(曹操の娘※)、兄は夏侯玄。三国志をちょっとかじった方ならご存知と思うので説明は省きますが夏侯氏は曹氏の親戚ですから、夏侯徽はほとんど魏の宗室の姫といってよい血筋です。司馬懿が皇族と血縁を持とうとしたんですね。
 (※)福原啓郎『西晋の武帝 司馬炎』より。徳陽郷主については三国志に記述はなく、どうして曹操の娘といいきれるのかと某先生に尋ねてみたところ、ゞ深腓箸△襪らには皇帝の娘である、△海稜代では曹丕の娘とは考えにくく、そうなると曹操の娘以外にないからだそうです。

 ただ、夏侯徽は24歳で死んでしまいます(234年。数え年なので、満年齢だと22歳か23歳。)。この死について、『晋書』に謀殺説が載っているので(さすがアレな晋書)、漫画ではそれをパロディしました。
 また『晋書』には、夏侯徽は「男子はなく、女子を五人産んだ」とあります。24歳で亡くなったのに娘5人て、えらいがんばったな司馬師、っていうかお前らラブラブじゃねーか!と思うのですが、どういうことなんでしょう。

 羊徽瑜(よう・きゆ)は214年生まれ、司馬師より6歳年下です。
名門・羊氏の娘で、これについて福原啓郎『西晋の武帝 司馬炎』では「司馬懿がスタンスを「貴戚」から「名族」に移してゆくのが、長子司馬師の婚家に反映している。」(91ページ)と評しておられます。
 羊徽瑜は晋建国後まで生きて、278年に65歳で亡くなります。
 ちなみに、晋の2代皇帝恵帝の皇后で、西晋滅亡後に前趙劉曜の皇后となる羊献容(よう・けんよう)は、羊徽瑜のいとこの孫です。

 司馬師の妻の伝記は『晋書』列伝・后妃上にあります。諡号は「景懷夏侯皇后」「景獻羊皇后」です。
 こちらのサイトで現代語訳をされています。
 正史三國志研究會 http://members.at.infoseek.co.jp/valentyne_suite/

 司馬師の妻のエピソードは、ちらっと張春華(母)を出そうとか、司馬師の片目が見鬼だとゆうのが将来彼が眼病で死ぬことにつながるっぽく匂わせようとか、モヤモヤ思い描いていたのにうまくいきませんでした。はああorz

福原啓郎『西晋の武帝 司馬炎』中国歴史人物選 白帝社1995年
中国史オタ |2009.02.04 Wednesday 02:16 | comments(4) | trackbacks(0) |
薬獣
薬獣イングリッシュ・ロップ&フレミッシュ・ジャイアントとゆうかんじの薬獣

 伊藤清司『中国の神話・伝説』に、神農の時代に薬獣(やくじゅう)という動物があり、人間に薬を教えたという説話が載っています(70ページ)。
 出典は『芸窗私志』(『説郛』所収)とあり、元の陳芬という人の著作とのこと。他に記録はないようで、メジャーな説話ではないのかもしれません。

 薬獣をウサギ風にして、しかも月のウサギと結びつけたのは完全な創作です。
 中国の伝説では、月のウサギは玉兎(ぎょくと)といって、不老不死の仙薬を搗いていることになっています。

伊藤清司『中国の神話・伝説』東方書店1996年
袁珂『中国神話伝説大事典』鈴木博訳 大修館書店1999年
中国史オタ |2009.02.03 Tuesday 02:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
六博
六博 盤、さいころ、駒、点数棒 六博(りくはく)は、春秋末期から三国時代へかけてたいへん流行した2人用の盤上遊戯で、興じる人々の姿が画像石や俑などに残っています。
 ただ、残念ながらルールが伝わっていません。
 双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説があります。双六というと子どもがやる暢気な遊び思いがちですが、それは江戸時代に発展した「絵双六」のイメージで、ここでいう双六とはバックギャモンのことです。バックギャモンとなると、ギャンブルをイメージしやすいですね。(*^_^*)
 道具は、絵のように30〜40cm四方の盤、さいころ、12個の駒、点数棒のセットです。
 ルールについて考証していたのは尚秉和『中国社会風俗史』と渡部武『画像が語る中国の古代』で、どうやら後者のほうが正しそうなので、それにのっとって描きました。

六博 さいころの目 梟
 さいころに「梟(きょう)」という目があり、これが最強の目で、駒を立てて「梟」のポイントに置いたんであろう、という考証でした。

 登場人物の許博昌(きょ・はくしょう)は、前漢の六博名人の名前です(『画像が語る中国の古代』246ページより)。すっかり兵隊くずれのヤンキー兄貴になってますが。
 そのライバル蔡穎(さい・えい)の名は、三国呉の廷臣で、孫和と韋曜から「バクチばっかやってんじゃねーよ」と説教された人物から取りました。(『三国志』呉・韋曜伝)

渡部武『画像が語る中国の古代』平凡社1991年
尚秉和『中国社会風俗史』東洋文庫 平凡社1969年

増川宏一『さいころ』ものと人間の文化史70 法政大学出版局1992年
 記述はオリエント〜西洋史と日本史の2本立てで、中国への言及はほとんどありません。ただ、『画像が語る中国の古代』には展開図しか載っていなかった前漢の十八面骰子の写真があり、作画資料になりました。
中国史オタ |2009.02.02 Monday 01:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
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